80年代の思い出 横浜銀蝿
僕が中学生の頃、ヤンキー(不良)が大好きだったのが横浜銀蠅です。
リーゼントに革ジャンで、大ヒットしたシングルのタイトルも「ツッパリHigh School Rock'n Roll」。
自分の机に鉛筆で「横浜銀蠅」とかROCK’N ROLLとか書いているヤンキーも何人かいました。
当時、僕はクラスのヤンキー連中があまり好きではなく、当然、横浜銀蠅もいい印象をもっておりませんでした。
ただ最近、ふとウィキペディアで彼らの事を調べたら、メンバーに、中退も含め大学に行っていた人が多いのですね。不良のイメージの彼らとは合わないのでちょっと驚きました。
しかし洋楽のパンクバンドも残ったバンドは大学出の高学歴な人達が多かったそうですし、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドも宇崎竜童さんと作詞の阿木燿子さんは明治大学出ですし、そういうパターンって多いのかもしれません。
実体験のヤンキー像ではなく、架空の、理想のヤンキー像を描いたから、あそこまで共感を呼んだのかもしれません。
似たような話ですが、サーフィンソングを多くヒットさせたビーチ・ボーイズは、メンバーでサーフィンができるのはドラムのデニスだけだったらしいです。
主な曲を作ったブライアンは、サーフィンができないどころか、水辺に近寄れないくらい海が嫌いだったそうです。
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